箏は、平安貴族の時代以前から存在しますが、箏曲として大成されたの(いわゆる俗箏)は近世以降なのです
▼奈良時代~
唐(中国)から伝来。雅楽などの弦楽の合奏に使われた
▼平安時代~室町時代
宮中や寺社の儀式、宴遊などに使われ、貴族の趣味・教養として広がる
▼鎌倉時代~
武家庶民の音楽として平家琵琶がおこる
▼室町時代末
琉球より三味線渡来(1562年)
▼安土桃山時代
三味線組歌が作られる
北九州の僧・賢順(けんじゅん)が雅楽の箏曲をまとめる
→筑紫流箏曲(筑紫箏)のはじまり
※高尚で娯楽性は少なかった
筑紫流箏曲を学んだ八橋検校がこれを基本として、楽器や奏法の定型化をはかる
・段もの…歌を伴わず箏などで演奏される器楽曲のこと
※段もの三曲…『六段』『八段』『みだれ』
・組歌…最も古い楽曲形式 (箏と三絃がある)
・平調子、雲井調子の考案
1630年頃~庶民音楽として三味線が流行る(長唄、端唄、小唄など)
1650年頃~三味線組歌衰退→地歌の登場
※世俗的で芸術性の高いものに
→
三絃との合奏(ただし、パートはほとんど同じだった)
型にはまりすぎた組歌
→箏の作曲が少なくなる⇔厖大な数の三絃の新曲
→箏は三絃に便乗して合奏する形で発展していく
【 京都 】
生田検校…箏の合奏範囲を広める、地歌曲との合奏
《三曲合奏》 箏、三絃、胡弓 (江戸後期~箏・胡弓・尺八がさかんに)
三絃の技法(スクイ)に合わせてつめの形状を変化させる
地歌三絃との合奏→上方の主流になる
・松浦検校、菊岡検校ら…京都の地歌を多数作曲
・八重崎検校…箏パート作曲(手付)
→「京もの」、「京流手事もの」
※複雑な合奏を楽しめるように発展
【 大阪 】
・峰崎勾当、三ツ橋勾当ら…地歌の楽曲形式「手事もの」の完成
・市浦検校…元の三味線パートに対して異なった旋律を持つ箏のパートが作られるようになり、合奏効果が高まった(替手式)
【 江戸 】
山田検校…箏の改良(音量が大きくなる)
→江戸に下り、山田流箏曲を創始
(地歌ではなく、浄瑠璃の音楽スタイルを取り入れたもの)
【 京都 】
光崎検校…箏を三絃から独立させる
組歌、段ものスタイルに、当時の流行をプラス
→『秋風の曲』『五段砧』
【 名古屋 】
吉沢検校…雅楽の旋律や技法を取り入れる
→古今調子の考案
『千鳥の曲』『春の曲』『夏の曲』『秋の曲』『冬の曲』の5曲を「古今組」とよぶ
この頃になると、三絃は追究し尽くされる。
箏は三絃からはなれ、箏独自の作曲を目指す。
歌詞に古今集の和歌を多用→復古主義
▼明治時代
西山検校…三絃なしの 箏・尺八曲を作る 『秋の言の葉』
→明治新曲
▼大正・昭和時代
宮城道雄… 十七絃の考案、西洋音楽などの影響を受けた新たな曲
『春の海』…新日本音楽
▼現代
…西洋音楽、ポピュラー音楽など幅広い分野の影響を受けている
→現代曲、現代邦楽