平成25年度事業「土器つくり」野焼き  平成25年11月4日(月)

 

     陶芸室での土器製作
       
       陶芸室での土器製作
 

      陶芸室での土器製作
 

      田神会長による指導
 

     野焼き前の土器展示
 

      野焼き部分の地面乾燥


 

       土器余焼き
 

          土器余焼き
 

          土器余焼き
 

       余焼き(向き変え)

 

         土器中焼き
 

        土器中焼き
 

       中焼き(拡大)
 

        中焼き(拡大)
 

           土器本焼き
 

         本焼き(全景)
 

       土器焼き上がり
 

          
    

               完成作品と作者の集合写真

     
     
     
     
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 昨年は気象状況に悩まされ、2度の順延の後やっと本番の野焼きができたが、本年も前日夜半には結構な雨模様であったため前年の悪夢が頭をよぎったが、今年は雨の女神には微笑まれず、絶好の野焼き日和となった。今年も昨年に引き続き岐阜縄文土器クラブの田神会長に野焼きを含む土器つくり全般のご指導を頂いた。
 田神会長の指導方針は、実際に発掘された「縄文土器」にいかに近い作品を仕上げるかをモットーとするため極力各作者の個性を作品に反映させないよう土器を作ることにかかっている。しかしながら、土器を焼くときの土器の縮みまで考慮した作品を粘土の状態から仕上げてゆくのは並大抵のことではない。粘土は基本的に「土」であるため、水分が入ると柔らかくなり、乾燥すると硬くなる。この基本事項が解っていても、なかなか「粘土」は言うことを聞いてくれない。縄文土器は粘土紐を1層ごとに積み上げ、下層の粘土と接着させながら積み上げてゆくのであるが、この手順がおろそかになると更に言うことを聞かず、偏心したり、下膨れたり、やられ放題である。この点、縄文の人々は忍耐強かったのであろうかスタイルもよく優秀な作品ばかりである。作る本人は縄文の人々に負けないくらいの情熱と忍耐とそして多大なる祈りを「土器」に捧げているのであるが、まだまだ捧げ足りないのであろうか。
 今年の野焼きも十分余熱をかけて焼いたため、野焼きによって大きくひび割れる等の損傷は見当たらず、作品全体の焼き上がりは良好であった。野焼きは例年秋口の気候冷涼な時期を選んで行っているが、なんといっても「火」は熱いものである。確かに土器も焼けるが人も焼けてしまう熱さである。しかしながら、田神会長がいつも言われるように、手を入れてしっかりと仕上げたところは焼き上げてもヒビ割れ、剥がれ等の損傷は現れず、基本の大切さを思い知らされる。持ち帰って、火照る体で並々ならぬ苦労を共にした「土器」と苦労話を語りあうのが楽しみである。土器製作の段階から、野焼きまで多大なるご指導を頂いた田神会長にはこの場をお借りして厚く御礼申し上げます。

[考察]
野焼き前に既に破損した部分も、野焼き中に破損した部分も焼成中の伸縮は同じで、焼成後の修復においてもパーツさえ失わなければ、完全な形で修復できることも判明した。しかし、ジグソーパズルとは異なり、所定の部位の確定がなかなか難解である。立体部分の修復ともなると、当然土器本体に接する部分から接着剤にて固定してゆくのであるが、対岸の相手に届いた時には当然元の完全な姿に戻らなければならないのであるが、接着剤の固まり具合との整合性も必要であり、なかなかのものである。今でこそ何とでも接着できる便利なツールがあり、原型復旧はさほどの困難を伴わないが、縄文の人々は割れた部分の両側に小さな削孔を施し、これをなにかで緊結して復旧していたようである。いずれかの時点では当然破棄していたのであろうが、このように物を大切にする精神は現代に生きる我々も学ぶべきかと思われる。1万年にも及ぶ「縄文」と呼ばれる時代はおそらく過酷な生活環境であったであろうことが十分推察されるが、それでも縄文の人々は自然と共生し、必要最小限の採取生活にて、今で言うところの「循環型社会」を自然な形で形成し、自己完結型の地球にやさしい生活を送っていたのではなかろうか。だからこそそれほど長い時空間を人として生きながらえることが可能であったのではなかろうか。人類は貴重な痕跡を残してくれた過去の人々の英知に学ぶ姿勢がないと、この先1万年はおろか1千年先の地球上での存続も危惧されるのではなかろうか。