ここネット通信号外   〜関西・近江の旅にて〜




 私の実家は美濃の恵那にある。坂折の棚田で地元ではちょっと有名な地域である。
最近になって知ったのだが、近江の湖北地域で、坂折の棚田の石垣に似た城郭を持つ
地域があるということを。 それが、今回の旅をするきっかけとなった。

自分自身の出自ののルーツを知る旅をすることは重要なことだよとは聞いたことがある。
いきなり、湖北の小谷城などを見に行くのはちょっとと思ったので、ここは、その関連の
深い地域でも行こうかと思い、湖北のことを調べたら、国宝の十一面観音像があることを知った。
インターネットでその画像を調べたら、今まで見たことのない素晴らしい仏像に心を動かされた。

これは生涯に一回でも行ってみる価値があるのではと思い、今回の旅行を計画した。
十一面観音像だけでは、岐阜地域から行くにしても、その後の暇をもてあますと思い、
高月〜長浜〜安土への半日日帰り旅行にしようとインターネット地図情報などを参考に
しながら、思い立った。

地元のローカル鉄道と、東海道本線、北陸本線などに乗り継ぎ、一時間半ぐらいで高月駅に着いた。
駅周辺にはこれといった商店などもなく、農家さんがのんびりと暮らしていた。
こんな人気も乏しい地域に、あのような画像で見た仏像が本当にあるのだろうかとちょっと不安に
なったが、渡岸寺観音堂までは歩いてすぐの距離にあり、道のりを迷うことはほとんどなかった。

当地に着いてまず、参観料を払い、すぐの観音堂まで行った。
中には案内の係の人がおり、中には二体の仏像があった。
一つは、十一面観音像で、もう一つは大日如来像であった。
どちらも、少し光を帯びた場所に、たたずみ静かに鎮座されており、
それだけでも、ここは外の空間と違う場所にいるのではという感覚になった。
国宝十一面観音像を係の方のお話をゆっくり聞きながら、ゆったりとした気持ちで、
じっと眺めると、その威容に感動して涙が出そうになった。
もちろん仏像を見て感動したことなどない。
その後もじっと眺めると、だんだんこころがほぐれていくのを感じた。

係の方のお話のあと、いろいろな質問をしたのだが、質問したことより、
係の方の誠実な受け答えにちょっとうれしさを覚えた。
その後、となりの大日如来の話になったが、こちらの仏像にはいけないことだが、
ちょっと違和感をおぼえてしまった。

そうこうして感謝の気持ちを係の方に告げ、観音堂を離れる時、”洗心の‥”と書いてあったので、
これが洗心されることかと実感した。

まだ、この地をいろいろと歩いてみたいという思いもあったが、
まあいいと自分を納得させ、長浜に向かうこととした。
長浜駅を降り、琵琶湖の湖岸歩き、ホテルのレストランで昼食後、長浜城の石垣あたりに着いた。
石垣は大小のいろいろな形をした石が複雑に組み合わされ組であった。
こんな素晴らしい石垣の形状は見たことがないとちょっと感動した。
そのまま城の中には入らず、駅の反対側、西側の長浜の町中を探訪することとした。
いろいろと見たのだが、こんな古い町並みが今の時代にも残っていることに
少し感動した。

このあたりでかなり疲労していたのだが、もう少し頑張ってみようと、予定どおり、
安土城跡を見に、安土駅まで向かうこととした。
車窓では、いろいろな山並があり、だいたいこれくらい山に城を作ったではと推測することが出来た。


安土駅から琵琶湖線の電車を降車後、12分ぐらい歩いて、安土の山まで行った。
拝観料をここでも払い、城跡のいつまで続くか分からない階段をゆっくりと登っていった。
一段一段の高さがとても高く、かつ広く、登るのにはかなり苦労した。
それでもよっこらしょとゆっくりと登っていったが、頂上の天守閣跡はまだまだ見えず、
途中、下りてくる人にこれからどれくらい道のりがあるんですかと聞いたら、
まだ3分の1程度だよと返事をもらい、とてつもなく遠い距離にはあと息をついた。
最初の石段は、直線だったが、何度も何度も曲がりくねり、道沿いをつたっていこうと思い、
必死で登っていったが、それでも、まだてっぺんは見えず、また、はあとため息をついた。
なんとか石段にしがみついてでも登ってやるという気持ちになり、足取りをはやめようとも
思ったが、足がついていかず、自分の心臓の鼓動と同じのマイペースだけを守り、普通の速度で
登っていった。
そうしているうちに、やっと安土山の頂上あたりが見え、ここらあたりに天守閣跡があるのだろうと
いろいろと探索し、最後にそれらしき跡にたどり着いた。

はあと疲れた体を癒すように息をつきながら、城郭のてっぺんから、山のあたりの景色を見渡した。
琵琶湖をのぞむと、琵琶湖を中心にして朝靄がかかったように、淡くてうっすらと白く見え、
それが、湖岸の平野を包み込むようにして、それらがまるで一体となっているように見えた。
空の景色もうっすらとしていたが、空と大地が一体となっているとまでは感じなかったが、
分かれているとも感じなかった。
どこかに、この景色を照らし出す、太陽があるのではなだろうかと、思い太陽を探したら、
太陽は、光をさんさんと放っているのではなく、うっすらと包まれた布の中で、顔を
のぞかせていような様子だった。 今まで見たことのない景色に非常に感動を覚えた。

岐阜への帰りの途はぐたっと疲れ切り、それでもこの旅の充実感に満たされた。