ここネット通信号外   〜岐阜県可児郡御嵩町・願興寺にて〜




 曼陀羅寺に続いて、すぐの号外である。



 曼陀羅寺のときは、目的が明確だったが、今回はそうではなく、
ただ、御嵩町の中仙道の町並みと、願興寺の仏像、特に薬師如来を見たいと
いう思いで、どちらかといえば、ぼんやりとした目的で、
出かけてみることにした。



 まず、町並から、岐阜県にある中仙道は、以前からよく出かけている。
ここ本巣市の地元では、美江寺の町並みが有名だが、あまりぱっとしたものではなく、
地元でもそれほど、話題にのぼらない。
今回出かけた、御嵩町の町並みもそれほど、岐阜県内では有名ではなく、
岐阜県の人たちの間でもあまり知られていない。



 私は、その街並みではっきりと計画された道筋や、軒をあらそうかのように、
建てられた、古い建物は好きではなく、御嵩町の町並みは、そのどの型にも
当てはまらず、非常に全体としてまとまってすっきりとしたものに見えた。
ただ、残念なことに、古い旧家があまり現存しておらず、古い町並みが好きな人たちに
とっては物足りないものだと思った。
 それでも、旅籠などはしっかりと残っており、広く公開されてあった。
建物内部に入ってみたい気持ちにかられたが、なんとなく気が引ける思いがして
やめてしまった。



 そんなこんなで、町並みを見終わって、今度は前日に拝観の予約をした願興寺まで、
行ってみた。



 この寺は、非常に古い本堂が門をくぐって、ちょっと行ったところにあり、
そのさらに奥に住職が住む建物があった。
住職に案内されて、本堂のとなりの宝物殿に行った。



 まず、住職は、どの拝観者にもお経(般若心経)を唱えられるということで、
私も住職の隣に座って、手を合わせてじっとききいった。
長いお経ではなく、非常に短いものであったが、なぜか、私の心に沁み入り、
涙がほろりとでてきた。
人前で泣いたのは、小学生以来である。それほど感動した。



 住職の案内でいろいろな仏像を見たが、天台宗ということで、
阿弥陀如来にも釈迦如来にも非常に中立的であった。
館内の配置からしてそうであったが、それ以外では、住職もいろいろと
読経の際には気をつけているそうであった。
薬師三尊像を中央に、その西方・東方・北方・南方には四天王像が、
その内部には十二神将が配置されており、極めて薬師如来をお守りとするための
さまざまな災いを深く考えた配置となっていた。
薬師本像は秘仏で直接拝観できなかったが、見られなくても十分価値のあるものだと直感した。



 あんなこんなで、いろいろな住職と話をしたが、
一番印象に残っているのは、この御嵩町という町が非常にさびれているということであった。
亜炭のかつては生産でにぎわった時もあったそうだが、今となっては、その栄華盛衰を
まともにうけて、その廃坑跡で地下をさまざまにはりめぐらされ、
いつ地盤沈下が起きても仕方がないということだった。
この町は奈良時代からの昔からそうであったらしいが、栄華盛衰をまともに経験してきたそうだ。
町の起こりは、願興寺を中心とした、寺内町から始まり、戦国時代には武田信玄の西方遠征で、寺坊が
焼かれ、仏像以外は全滅し、江戸時代には、中仙道を中心とした、宿場町で栄え、明治時代から戦前までは、
亜炭の生産で栄え、日本全体の好景気のときと不景気のときをまともに経験している町だと思った。


 面白いことに、リニアモーターカーが、東濃地域を走ることで、御嵩町にも少なからず影響があるという話をした。
リニアは、もちろん最先端の技術を結集したものだが、それが、言い方は悪いが下町を走るとなると、
いろいろな影響をうけることが確実だなと思った。
リニアはもちろん、次世代のあらゆる夢を乗せて走るが、それについていけない町もあり、
リニアがこの地元を走るというだけで、いろいろな影響をうけると直感的に思った。
美濃地方のリニア停車駅は、美濃坂本であるらしいが、一番影響をうけるのは、まず、中津川や恵那地方だと思う。
それでもリニアはあれだけの超スピードで走ることもあり、停車駅が少ない。
いろいろな地域格差が大きくなるのは避けられないのではないか。
それでも、今の日本の特に経済の閉塞感を救ってくれる救世主のような存在であるのは間違いないのではないか。
根本的に日本のあらゆる交通網を見直すことにつながりそうである。
そうであっても、リニアにはあらゆる沿線自治体を含めた期待がある。
その期待に乗ろうではないかという気分である。


 今回の旅は学生時代からの古都などを観光した経験から始まったいろいろ旅の中でも、
特に印象深いものとなった。



 帰りはそそくさと寺院を見たあとは帰るのに、地元のものが何かないかと探し、
露店で五平餅を二本食べた。味付けはあまりぱっとしなかったが、素材の餅自体は非常においしかった。



 どうしても、古都めぐりとなると、奈良や京都を思い浮かべてしまうが、地元にも、
このような千年以上も続く文化遺産が存在するのだなと、地元を見直してみる機会となった。