ここネット通信


          No.9
平成26年4月7日
ここね
発行者 特定非営利活動法人 心音


            特 定 非 営 利 活 動 法 人 心音
              代筆 サイトの管理人(メンバーの一人)




 本巣市根尾の薄墨桜は、雪の降る中での開花だったそうです。                
ここ本巣市南部では、まだ寒さは完全には遠のいていませんが、                
小春日和を思い出させるような気候がちょっとずつですが、日によって             
あらわれるようになってきました。                             
 利用者の方々も、ここ最近では明るい表情を見せる方が多くなってきました。         
ですが、まだまだ病状が安定せず、ベットで寝たきりになる方も多いです。           
精神的な病といっても、人それぞれ症状が違うので、職員の方々も対応に苦慮していると思います。
 さて、ここネットも3年目になり、月一回のイベントも含めて、いろいろな事業がだいぶん、  
のってきたようです。                                   
 今年の4月の初旬に桜の花見会と食事会とカラオケ大会をやったので、そのときの       
写真をこの文の下にのせておきます。                            




 今回は桜の花見会について、ちょっとこぼれ話でも書きたいと思います。           
桜を観賞すると、こころがなぜか解き放たれ、自然と桜をめいでる気分になってきます。     
これは、みんなでわいわいさわぎ合って、どんどん明るい表情になり、             
話がどんどん進んでいくのとは違います。                          
なんと言ったらよいのか、桜について、話し合うのではなく、                 
桜という”自然の花”の観賞対象に話しかけている、                     
もしくはコミュニケーションをしているようです。                      




 古来から、日本人は桜に関して、いろいろな歌を詠んできました。              
これは、日本人の自然に対する、畏敬の念と崇拝の念が合わさっているのではないかと思います。 
自然に対する恐ろしさがあまりなく、率直に親しみをおぼえている態度だと思います。      
 例えば、日本の地図帳で岐阜県内を調べてみると、いろいろな自然のことを表した地名を    
よくみかけます。これは人間社会に対して、一種警告をしているのではなく、          
自然と一緒に暮らそうよという日本人の独特な感性のあらわれだと思います。          




古くは、白山信仰に見られるような、神仏習合といった、宗教的観念もありました。      
仏教も自然の中にあるものだと思います。それは人間の社会に身をおいて、人間中心の宗教感を 
つくりなさいという教えではないと思っています。                     




 人間中心の社会ではしばしば衝突がおき、それを他から抑えきれず、破滅的なことになる   
ということがしばしばあります。                             
これは自然を軽視していることとはまったく違って、あらゆる自然の中における        
いろいろな現象に”余裕”や”ゆとり”がないからだと思います。              




 日本人の世界中から見た独特の自然に対する感性は、桜をめいでる心とともに        
ここから来ているのではないでしょうか。                         




 ここネットの利用者は去年よりは、いい表情で桜に対することが救いです。